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はじめまして



現在我が子ぽんたは小学6年生。
3歳の時に広汎性発達障害と診断を受けました。

発達障害を持つ我が子との生活のなかで
ママ視点での気付きや考察を綴っております。

はじめて訪問された方は
ぜひ「はじめに」のカテゴリからご一読ください。

↓そしてこことは別にむーにの日記的ブログも書いています↓
なきむしでいいじゃん♪

どちらももし良かったらお付き合いくださいね(。・ω・。)ノ

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幼少時の記憶は遠からず引き継がれる。

ちょっと今回はネガティブな話です。
現在、成人されている方で、幼少時のトラウマを抱えている方には、お勧めできない内容かもしれないので、ご了承ください。



さて。

ぽんたの抱える内在面は、二次障害などのカテゴリでも何度か書いてきたと思いますが、この1年ほどで顕著になってきたことがあります。

そのことを、、少しオブラートに包んでなら記事にできるだろうか?などと、何度も考えていましたが、やはりどうしてもPCを前にすると指が止まってしまい、書けない日々が続いています。


そして、その理由は、、、どうしてなんだろう?
そう思いながらも、答えの出せない状態のままでいました。

ところが、気づいちゃったんです。いや、きっと気づいていながら、そうだと確信したくなかったのかもしれません。


ぽんたの精神状態の現在が書けないのは何故か。
それはというと・・・・・まだ、私が受け止めきれずに苦しんでいるから。



ずっと・・・・それこそ幼稚園という集団生活に入るまでは、本当に、心から、天真爛漫な明るい子だと思っていたのです。
それこそ、赤ん坊の頃から、、、健やかに、朗らかに、、、と育ててきたつもりが、まさかの道を外してしまったまま突っ走っているような状態のような感触を拭いきれない自分がいます。


小学校にあがってから、彼女の身に起きた様々な出来事や、そこで、どう対応していったかのすべてを、私自身ですら、(本当にこれでよかったのだろうか)と、戸惑うことも多くなってきてるのかもしれません。

そんな母親の戸惑いを、娘特有の感の良さで、ぽんた自身も思考ではなく、感覚で気づいているのかもしれませんが。


今、、彼女の記憶には解離している部分が残り、人間関係の難しさからかなのか、攻撃性を隠し持つようになっています。




やっぱり、ここで、どうしても指が止まってしまいました。


ぽんちゃんは小学5年にあがりましたが、相変わらず欠席してしまうことも多く、遅刻して登校したかと思いきや、僅かな時間で帰宅。
それから自分の思いのたけをぶつけてくる彼女にとって、聞き役のママはまるでサンドバッグ。笑

ええーサンドバッグ、、痛いやん~~。

なんて(笑)そこをひたすら我慢のこで続けることなんて出来るわけもなく、、、する必要もないのだけれど。。

それでも、彼女にとっての『理解してくれる最大のひと=母親』であることは、いまだブレることはありません。


それこそ、、、それがあるからこその、彼女なりのバランスをとってるのかもしれなくて。


でも。

でもね、やっぱり、、、ぽんたのことを考えない時間が少なすぎて、私のほうが爆発しそうになる時があります。



うん、何とかかんとか、やり過ごしてはきている。

それでも、考える。



私の母親としてのぽんたへの接し方がマズかったのだろうか?って。


それは単純に自分の思考から生まれたものではなく。。。。

例えば、ぽんたは不登校になって少し経った頃、初めて訪問した精神科(児童精神科は併科)では、まず『母親のカウンセリング』から始めることを勧められたことがありました。

(???? 私はぽんたの記憶が解離してしまってることで相談にきてるのに?)
(なんで、母親のカウンセリングなんだろう)

・・・・・・と、いうことだったり。


次に、まったく別の機会で受けたカウンセリングでは、私の言ったひとことを逆手にとって『あら、私ならこう言うわ』って、、、なんだろう?ぽんたのカウンセリングで来てるはずなのに。

何かが逆転してるぞ??・・・・なことだったり。



色んなことを思い返したりするのも、本当は苦痛なのに、家にいると、そこから逃げられずにどんどん内面に気持ちが傾いていく。




で、ふと思い出しました。

ママ自身のこと。


ちょっと話が飛びますね( ;^ω^)


実は・・・・私は2月生まれなのですが、弟は翌年の3月生まれです。そして、妹はその翌年の11月。


計算しなくても、母親になってる女性なら察しがつくはずです。

私が生まれてから、その三ヶ月後には、また母親のつわりが始まっているわけです。



ずいぶん後になってから、「つわりは大変だろう」と乳児の私を祖母がよく連れて行ってたと、母から聞きました。
母は母乳が出なかったので、私は粉ミルクで育っています。

ほとんどの子どもは赤ちゃんの記憶なんて残っていないと思うのですが、で、、、私も全然覚えてないのですが、あまり母親から声をかけられない子どもだったことは確かだと思います。

今でも、何かのきっかけで母親の肌に触れることがありますが、すごい生理的な違和感を毎回感じるんです。


そして、弟、妹が誕生して、その子たちを抱く母親を見て、もしかしたら幼心にこう思ったかもしれません。

「わたしを抱っこして」
「わたしも、弟や妹みたいに、抱っこされたかったのに」



今でも、母はこう言います。

「あなたは全然手がかからない子どもだった」


いや、違うよ、それは。


あまりにも手をかけてもらえなくて、どう甘えていいか分からなかったの。

「わたしも抱っこして、、、」って言えなかったの。




そして、、、、もしかしたらそれは、まるで大きな傷のように、私のなかに刻み込まれてるのかもしれないって、あまりに唐突に、でも確信のように私のなかに言葉があふれ出してきて。。。。

すっごい勢いで書いてしまいました。なんか変な文章だったら、ごめんなさい。



でもだから、たくさんたくさん、ぽんたを胸に抱き、頬にチュッてして、母乳をふくませた。

ママの大切な大切な我が子。



それなのに、記憶を解離させたまま、ぽんたの日々は流れる。

現在では、学習障害の可能性はさらに大きくなり、精神面でのフォローは医学的にも必要な状態になってきていて。。。。


どうして?

なぜ???



多分、自分のなかで、泣きだしてしまいたいような感情を持て余してしまってるのが、今のママの状態です。





で?

だからって・・・・・で? どうするか?



前を向くしかない。前を向かないでどうする。

何度過去を振り返っても、過去は過去。



(ちょっと溜め息・・・・)
そうだよね、ぽんちゃん、ママは前を向くよ。

そうして、これからも一緒に進んでいこう。




(ふぅ~~~←ちょっとひと息)
この記事を書きだして、少しだけ心の整理が出来たかもしれません。

長文でした。
ネガティブ全開な話だったのに読んでくださって、ありがとうございました。


また、しばらくしたら、いつものむーにで、登場したいと思います( *・ω・)ノ






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聴覚優位型でも視覚アプローチは必須。

訪問ありがとうございます( *・ω・)ノ


さて、最近の記事でも書いたように、療育手帳可否判定のために発達検査(WISC-Ⅳ)を受けたぽんたちゃん。

その検査結果を持って、障害告知を受けた病院の担当医に、別件で相談に行った際に提出をしました。


本当は児相(現 子ども家庭センター)で行われる発達検査の数値は、親御さんには知らせない決まりがあるそうです。
でも我が子の場合は、成長と発達の経過観察として、発達検査の結果は担当医に毎回提出しているので、その旨を申し出て(つまり書類を一筆書かされて)数値だけですが、書面で頂いています。


で・・・・・その検査結果を見た先生のひとこと。

「あら?ぽんたちゃん、視覚優位じゃなかったのね」


そうなんです。

ずっとママのなかにあった確かな感触。
そして、そこから起因する・・・いや派生する?うーん、うまく言えないけど。

とにかく彼女を見てきて、ディスカリキュア(計算障害)の可能性を知った時から、ぽんたの観察を続けるうちに感触から確信に変わっていったその一言をようやく専門医から聞けた、、、そう思いました。


そして、静かにこう返答しました。
「うん、私もずっとそう思ってたんです。とにかく彼女は耳がいいんです。」


その先生とは、もう8年の付き合いになります。
私を「ぽんちゃんママ」と呼び、私も先生に対して、これまでしてきた家庭での工夫や、「今何で困ってるか」を自分の言葉で話していました。

ああ、”自分の言葉で”って・・・、何か変ですよね?苦笑

でも、いつもそうなんです。
(的確に、娘の情報を相手に伝えるため)に言葉を選び、自分のなかにある心配を過剰に出さないよう気を配ることは、割と日常です。

以前はそうではありませんでした。。。。

なぜなら母親が我が子を心配するというのは、障害の有無に関係なく発するごく当たり前の感情であり、そこにはどうしても我が子のことを心配するがあまり、”親子の境界線”を超えて感情的になりやすい。
特にオンナは情で会話を発展させたがる傾向が強い。

私は何度もそれで失敗してきたので、自然に”自分の言葉で”話せる関係性を繋いだ人とのみ、そうするようになりました。


あ、もしかしたら、ぽんたもその傾向はあるかもしれないかな?

今の彼女にとって、その相手はママのみ、オンリー母親かもしれません。



さて、話がズレまくりましたが、以前何度も私にこう聞いてきた方がいました。

「ぽんたちゃんは聴覚優位ですか?視覚優位ですか?」

ちょっと、うざったく思えるほどに、、何度も。何度も。


まだぽんたが6、7才の頃の話です。


ママが、ぽんたの聴覚優位性に気づいたのは、それから一年後。
当時はまだ、視覚情報を必要としていました。

なぜなら、”言葉と物事のマッチング”に、視覚情報は必須だったからです。
幼児から小学校にあがったばかり、、、当然といえば当然なのですが。


思い起こせば、聴覚優位型の特性は、当時もう発現していたのかもしれません。

大の大人を感情的にさせてしまうほどの何かを発したことは、今さらここに書くまでもなく、そのことがあって今もなおトラウマとして、そして二次障害三次障害として、様々な場面での生きづらさと向き合ってるところなのですから。


ただ、、。

やっぱり、こう思えてしかたがない。



「言語」として、「語彙」として、覚えるための、視覚情報は必須だった・・・・と。

現在も彼女はインターネットの世界をさまよっては、様々な情報を取得し、そして、字幕つきの動画を見ては、膨大な数の言葉や言い回しを覚えています。


私は、それは彼女のスキルのひとつだと思っています。

まぁ、危うさもあるので、まったく目を離すことも出来ないのですが、確実に階段を上っている印象は受けてます。


・・・と、ここまで聴覚優位について書いたので、次はおさらいとして、ママが気づいた聴覚優位のぽんたの様子を思い出せるだけ綴ってみたいと思います。



・・・・・・・って予告しておいて、また日にちが空いたりして( ;^ω^)


気長にお待ちくださいませ。




思った以上に更新への励みとなりました。
本当にありがとうございました。

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内在する解離にビビらないためには。

ああ~~( ;´д`)ゞ
す、、す、すみませんっ!また更新が空いてしまいました!

あいかわらず不定期更新な当ブログへの訪問、本当にありがとうございます。



ところで、このブログはにほんブログ村 - メンタルヘルスブログ 広汎性発達障害 -と、もうひとつにほんブログ村 - 子育てブログ 発達障がい児育児に登録しております。


ふと、たまには確認しようとHPを覗くと、こんなブログでも読みにきて来られる方がいることを知ります。


月に幾度しかない更新のたびに、読みに来てくださる方がおられるというのは、本当に励みにもなるし、かつ、ぽんたと似たような性質や特性を持つお子さんや当事者の方への共感や励ましにもなれば・・・という、書き手としての自分自身に活力を与えるものでもあるんです。




なのに。

なのに。なのに。



またもや。


前の記事で、聴覚優位についての考察と気づきを書く宣言をしておきながら、全く違う内容で書き始めようとしております。


現在の自分にとっての、一番の課題であり、日々の考察を占めることなので。。。

やっぱり書きたくなっちゃいました。すみません。





と、前置きはさておき本題です。



発達特性のひとつに、エコラリアというものがあります。

発達特性を持つお子さんと関わっている場合、経験されてる方は多いのではないのでしょうか。

有に漏れず、ぽんたも見事なエコラリア症状を持って育ちました。


あ。それ、(トイ・ストーリーの)ウッディだよね。
今のは、クレヨンしんちゃんのあのシーンのだよね。

etc etc ・・・・。


しかも、場面設定が似通ったような、絶妙なタイミングでエコラリアを出してくるので、一緒にアニメや映画に精通していないと気づかれないことも多かったように思います。


そんな幼児期を過ぎての、思春期に突入しようとしてる現在は、ともに9歳の壁にもブチあたっているぽんたちゃん。




彼女にとっての『本来の自由な自分』をさらけ出すことが出来る相手。


それはママ。
唯一、私。




いまのところ、他には誰もいません。




私自身は、そんな彼女の姿を見ることには、もう慣れてしまっているので、特に意識してこなかったのですが。。。

ぽんた自身が、友人関係に課題を持つようになり、大きくフィードバックしてくるようになりました。



ヤバい。
これこそが、解離の原点だったんじゃないか。。。。。と。




私の知る限り、彼女は、たくさんの顔を持っています。



家で、ママと過ごすときは、時に猫になり、時に赤ん坊になり、幼稚園児になったかと思えば、相応の10才の少女になる。
・・・・・が、時に、成人女性のようにも変貌します。

そこにパパが入ると、時に、ギャングエイジ真っただ中の少年のようにもなるし、家族3人で過ごしているときに狂気のような症状が止まらなくなったりもする。



逆に、外界・・・・たとえば、学校にいるとき。


友達のまえでは、受動的で緘黙傾向はやはり強く、自分の気持ちや感情を表に出すことに対して、過剰なまでの抑圧をもち。。。

先生と話すときには、まるで、社会人のようにふるまう。


校内での、、ぽんたのたたずまいは、(コワイ思いをしたくない)自分を守るがために自分で『校内での自分を作り上げてきた』かのように見えることも多いような気がします。



ところが外で。


つまり、我が家であったり、公園や、ぽんたの安心スペースでの彼女のふるまいは、また違うわけで。

大きな声で笑い、いや、笑いすぎて止まらなくなったりして、一緒に遊ぶ友達を困惑させることもあります。




以前失敗したカウンセリングで、ぽんたと遊んだカウンセラーの方に驚かれたことがあるのですが。

母親が退出したあとの彼女は、とても賢く大人な会話も出来、いろんな話をしてくれた・・・と。

ところが、母親が帰ってくると、瞬間で彼女の様子が変貌し、母親に甘えた様子を見せたと思ったら、それまでと違うテンションになってしまって、(いったい、何故ここまで変わってしまうのか?)と、相当疑問に思ったそうです。



・・・で、ぽんたちゃんは母親次第でどうとでもなるんじゃないか?との結論を持って、私との対峙にシフトしたようなのですが。。。




いや、違うんですな、、、それが。


いろんな様子のすべてが、彼女

そこには、解離性も内在してるとしか説明のしようがないように思えてしかたがないんです。



『本当のぽんちゃんを知ることは、誰にも出来ないと思う』


二回目のカウンセリングを終えての帰り道。そう、、はっきりと確信を持って断言した彼女の、そのひとことに全てが詰まっているのだと思います。




相貌変異は、自分を守るため。
自分の感情をあらわすために、自分で作りだしたもの。


そう考えると、私自身も納得がいくようになりました。



でも、大きな課題にもなってきました。


これからもっと、母親の関知しない環境で彼女は生活をするようになる。

『私って、時にこうなっちゃうの。えへ(*^─^*)』


もし・・・・そう一言でも言えたなら、全然許せてしまう範囲であることが多いのに、それが出来ないことで拡がる誤解が、かえって彼女の生きづらさとしてリターンしてくることになる。


大きな課題です。
でも、見方を変えたら、小さな課題です。

そのためのキーは、彼女自身のなかにあると、、、今のぽんたを見ては、そう思っています。







今回も長文でした。
読んでいただいて、ありがとうございました。


いつもありがとうございます。
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聴覚過敏と情報過多の相互関係。

今回も訪問ありがとうございます( *・ω・)ノ


この記事は、いちおう前々回の記事からの続きになります。

あまり小難しく書くつもりもありませんので、ママのいつものダダ漏れ思考と思って読んで頂けるとありがたいです♪





さて。さっそく本題です。

『聴覚優位』と聞けば、それと相反する事象として取り上げられるのが『視覚優位』ですが。。。


先日ある記事で、こんな事が書かれていました。(すみません、ネットサーフィンで見かけただけなのでソースは不明です)


聴覚優位か、視覚優位か。
その判断のひとつとして、よく使われるのが以下の問題だそうです。

へえ~そうなの?

そう思いながらも、読んでみてけっこう面白かったので、紹介したいと思います。
ぜひ、ここをお読みの方もやってみてくださいね(*^─^*) (イメージし易いように、ちょっと脚色していますw)



ここに臨月に入った女性がいます。予定日も近づいてきて、新しい家族を迎える準備も整いました。
初めて「父親」になるご主人も、いつかいつかと、赤ちゃんの誕生を待ちわびてきました。

さあ、陣痛が始まりました。

想像以上の痛みに耐えながら、(赤ちゃんも頑張ってるんだから)と頑張ってる姿に、ご主人の手にも汗が滲みます。
長い長い陣痛の時間を耐え忍び、もうすぐ赤ちゃんが出てこようとしています。


「あああっ!!!」

・・・・・・・・・・・・

赤ちゃんが誕生しました!






さて、ここで、瞬間にイメージするのは、どちらでしょう?


① 「おぎゃああ、おぎゃああ」という元気な産声

② 真っ赤な顔で、お母さんの体から出てきた赤ちゃんの姿




ここで、①の産声と答えた方は、聴覚優位性を持ってるらしいのです。

逆に、②の赤ちゃんの姿と答えた方は、視覚優位性を持ってるらしく・・・・。



おおお~~~。

なるほど。



私は、「おぎゃあっ、おぎゃあっ」の①でした。どうやら、聴覚のほうが優位なようです。




と、話がズレましたが、発達障害としての特性についての様々な著書にもよく出てくるのが、≪視覚的にも分かりやすい支援≫です。

あれ?となると、、、聴覚優位はどこに?となりますよね。


ぽんたの場合は、幼少期からジャーゴン(ジャルゴン)ではあったものの、たくさんのコトバらしきものを喋っていました。

療育園でも、お出かけした先でも、誰かれ構わず話しかけようとし、『コトバを喋ろうという行為』にいたっては、いわゆるカナータイプの自閉圏の子どもとは違った特性を見せ、療育園の保育士さんたちからは『この子は知的には高いと思う』と云われていたんです。

とはいえ、「物事」を理解するために、視覚支援は必須でした。
コトバでの声かけだけでは、ぽんた的には「?????」であることが多かったからです。

しかしながら、ジャーゴンであっても話したい語彙を吸収する力はあったのだろうと、今ならそう思えるんです。

ただ・・・吸収しすぎる帰来があったため、過敏症状も出やすかったんじゃないか・・・とも予想してます。
情報過多な状態で、混乱することは、本当にしょっちゅうだったんです。

もちろん、幼児だった頃のぽんたは『意味を理解すること』に関して、相当の遅れがありました。


以上のような背景があったがゆえに、小学1年時の支援学級では、そんな彼女を理解できない先生たちからの不適切な対応が行われてしまった理由の1つとしても、いまさらですが十分考えられるわけです。



そして。


幼児期から、現在に至るまで、ぽんたの「歌詞を覚える速さ」は人並み以上だと思っています。

ぽんたは、歌をうたうのが とても大好きな子です。


もちろん、年齢があがるにつれて、歌詞の世界観をつかむことも、だいぶ出来るようになってきました。
これは、彼女にとっての得手になるかもしれません。



かといって、言葉の・・・・・というより、会話の真意をくみ取る力になると、かなり難しく、言葉(語彙)を知っているだけに友人関係でのトラブルも目立ってきました。


まぁ・・・変な言い方ですが。

語彙の情報に関しては、ある意味「過多状態」であるのに、そこにともなうべき理解が追い付いていっていないのです。



これは、学習に関しても難しさが出てきています。

もちろん、『出来ること』の増えてきた彼女のプライドを、ひどく打ちのめすような形で表れてしまうことも増えてきています。



彼女にとっての「9歳の壁」は、その優位性と個人の性質も大きく絡んで、現在立ちはだかっていると言っても過言ではないのかもしれません。



・・・・なんか、ちょっとズレちゃったかな?( ;^ω^)


まぁ。。思った以上に大変な、ぷち思春期に突入してしまっています。



がんばれ、私。
がんばれ、ぽんちゃん。

・・・・と、誰も言ってくれないので、自分で励ましてみたりして。笑





今回も読んでいただいて、ありがとうございました。



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『ママは不登校だったことはあるの?』

訪問ありがとうございます。


いやぁ~~((ノд`*)っ)) 久々の連投ですねぇ~♪
まぁ、、わりと最近のことなので、さらっと書いてみようと思います。



さて。

最近いろいろありまして、またもや五月雨登校中のぽんたちゃんです。
っていうより・・・・。。。

うーん。

ビミョーな引きこもりモードに入ってる6月となりまして。



まぁ。詳しいことはさておき。




先日、運転中のママの隣に座るぽんたに、いきなりこう聞かれました。


『ママ、ママは不登校だったことはあるの?』


え?なに?・・・・うははは( ;^ω^)


実は、ママも思春期、第二次反抗期と、ぽんた並みに・・・いや、それ以上に?色々な経験をしてきまして。

ぽんたに何かあるごとに、ママの体験談を聞かせてきました。


その当時のママの気持ち。
ママの母親(ぽんたにとっては祖母)は、ママの状態に気づいたのか?

当時の経過と、ママ自身はどう折り合いをつけてきたのか。


そして。


いざとなったら、逃げたっていいし、欠席したっていい。

そんなことは、ちっとも悪いことなんかじゃない。



本当に悪いことは、親より先に逝ってしまうこと。
それが、どんなに親不孝なことかを、何度も何度も話してきました。



ええええ~~~???不登校?笑
不登校も何も。。。。笑

だって、ママの頃は、まだ「不登校」なんてコトバは存在してなかったのよね。

うーん・・・。


登校拒否とか、欠席が続いてるとか、・・・・なんか別の呼び方をしていたような気もするけど。

いや、だいたい、いまでゆう「ヤンキー」?
「不良」や「非行」ってのが全盛期だったから。

そっちのほうの子たちが学校に来ないなんてのも多かったしな~~。


だから、「不登校」ってのとは、ちょっと違う時代だったのよね。


あ、でも、休んだりしたよ。

うん、今でいう「不登校状態」になったことはあるよ。





・・・・・・・・


「へえ~」とばかりに、不思議そうに聞いていたぽんた。




そうそう。そうそう。


今思えば、当時は「引きこもり」なんてコトバもなかった。


たしか、おばさんたちの話で、、「誰それが家に引きこもちゃってるらしい」だの、「あそこんちの子はどうだ」だの、そんな風に聞いたことはあったような気はするけど。

やっぱり、今でいう「引きこもり」も、「ニート」も、「不登校」も、言葉としては存在してなかった。



いや、でも。

実際には、そういった問題やしんどさを抱えていた人たちってのは、きっと存在していたのだと思う。

そして、そうした人たちは、おおやけには認知されていなくても、何とかかんとか毎日をしのいでいたんじゃないのか?・・・・と、そう、ぽんたの疑問から、そんなことをつらつら考えておりました。



でも。


なんだかなぁ~~。
まるで、そのコトバで、≪ひとくくりにされた感≫があって。

いや、当事者にむけたものっていうよりも、、

世間一般のひとたち、いわゆる、外野のひとたちが、そういったコトバでもって≪わたしたちと違う≫意識を植え付けようとしてるようなコトバのような?・・・・そんな考えも浮かびました。



この10、20年で、本当に世の中が変わったというか、、、何かもう、ちょっと優しさや慈しみに欠けた言葉が、なんとなくだけど増えたような気がします。


ぽんたも、自分で自分のことを「コミュ障」だと言うようになりました。
そこには諦めの感情が多く含まれ、未来への希望的観測を感じることが難しいとさえ思えるような印象を受ける時すらあるんです。





だから、何やねん。



・・・・と、私は思いたい。



ええねん。コミュ障だって、不登校だって、ニートだって、引きこもりだって。

そんな言葉で自分を縛る必要は、本来はないんじゃないのかなぁ?違う?そう思う?



そんな言葉を気にしながら生きるより、楽しいことを見つけたいし、一緒に笑える瞬間を大事にしたいよね。

どうしたら「幸せになれるか」を考えたいよね。


・・・・・と、ぼんやり。。。。


今朝、考えていたのでした。





読んでいただいて、ありがとうございました(*'-'*)ノ


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